HOME>>>
1.Wir sind Helden!!
2.1987年
3.パリーブレスト
 自転車と
 フランス菓子

4.最下位という誇り
5.バイクと女性と
 コスチューム
6.アニーロンドンデ
 リーと嗜輪会
7.All Rounder!!


写真は、アマゾンの下記書籍案内から転載
Around the World on Two Wheels: Annie Londonderry's Extraordinary Ride

 自転車ツーリングの創生期に目を向けてみると、初期の女性には驚くものがある。富豪の道楽(賭け事)に受けて立ち、世界一周をした”アニーロンドンデリー” こんな名前を御存じの方は、少ないと思うが、時代背景を思うと凄いことを処したものだと感歎する。

 本名はアニー・コーエン・コプチョフスキー(1870-1947)、1870年にラトビア、リガのユダヤ人家庭に生まれた。
 18歳で結婚、3人の子供を授かり、”ロンドンデリーリチアスプリングスウォーター会社”に就職。

その仕事の内容というのが面白い! なんと宣伝用のプラカードを自転車に取り付けて走り回ることであった。しかも会社からアニーロンドンデリーなどというハンドルネームを名乗るように指示されてである。今なら驚くこともないがその当時、自転車にプラカードとは・・・なんとも奇妙で宣伝効果はあったのかもしれない。
 そんなアニーが一躍有名になったのが、ボストンの二人の富豪による賭けだった。「女性が自転車を使って、15ヶ月で世界を一周できるか」・・・賭け金は1万ドル。色々な条件が付けられ、金銭を一切持たないでスタートするというものであった。したがって旅行中は広告料や体験談の講演などをしながら費用を捻出する必要があった。
 宣伝広告は、自転車や彼女の衣服に目立つようにつけられた。当時、女性の地位は欧米でも低く「女に何ができる」という風潮があったようだ。女性の社会的地位の向上や解放運動も芽生えてきた時代背景に彼女は共鳴していたのだろうか?
 女性が自転車に乗るからには、スポーティな服装も必要だ、そこで登場するのが「ブルマー」。機能的な服装というのは今も昔も変わらない。このアニーが、軽快なブルマーに着替え走った最初の女性かもしれない。
 1894年6月、ボストンを出発し、シカゴで軽量な自転車と交換・・・もちろんブルマー姿で走り始めた。乗り替えた自転車は、スターリング社製で堅牢かつ重量も10キロ近いものであった。このスターリング自転車、日本でも明治36年頃日米商店が輸入し、人気のある銘柄の一つだったとか・・・
 行く先々で、話題になったのは言うまでもない。西欧〜アジアへ。そして日本にも寄っているのだが、余り当時の日本マスコミは、騒ぎたてた形跡がないようだ。

○明治28年3月2日付けの東京朝日新聞○

自転車乗り婦人の世界周遊

 自転車乗りの流行は独り東京のみならず目下欧米にても亦大流行となり貴女に至るまで意気揚々自転車に乗りて競争するの勢いとなりたりとのことなるが茲に奇を好む亜米利加の一婦人は自転車乗りの世界周遊を企てたり其名をミツス、アンニ、ソントンデーリイという此婦人は大胆にも一人の同行者なく単独にて昨年の九月廿四日シカゴ市を発しクリヴレンド、ブーハロ、ロチェスター等を経て紐育府に出で同府より汽船にて仏蘭西ボルドーに渡り同所より又自転車にて仏蘭西南部地方を経伊太利希臘土耳古波斯を乗り廻して印度カリクツタに至り同所より汽船にて日本に渡り日本より桑港に渡航し同所よりシカゴに帰る予定にて周遊期日を十一ヶ月とし本年五月桑港に着し八月頃シカゴに帰るべしといへば予期の如く妨害なく乗り廻したらんには本邦に到着するも近きにあるべし単騎旅行徒歩漫遊の人はありたれども自転車周遊はミツスアンニを以て嚆矢とす其一婦人なるに至りては一層珍奇なり今後風船飛行にても企つる人あらば亦妙なるべし

日本では、変人奇人と見られただけか???

○明治28年年3月9日付けの英字新聞ジャパン・ウイークリー・メール
 神戸クロニクル新聞の記事を引用して、「賭けで世界一周」と題し、神戸での状況を次のように報じている。

 彼女は、金曜日の夕方に神戸の公園を自転車で周回した。
 居留地の婦人であるヒューズ、シェファード及びクラークさんらと一緒に走った。
 これは日本滞在中の経費を捻出するためのもので彼女は胸やニッカーボッカーの膝バンドに目立つ広告を縫いつけていた。


 自転車世界一周といっても、殆んどが船の旅の旅ではないか、等という御仁もあったようだが、やはり凄いことだと思う。
 女性の世界旅行者は、同じ頃もう一人現れている。
 ファニー・ブロック・ワークマンという女性がいるが夫と10年間、世界中を旅行している。1895年には自転車でアトラス山脈を越え、サハラ砂漠に至る難コースを制覇した。日本にも来たらしいが???


「はいからさん達」

 さてお次は、日本の歴史を振り返ると。。。 
 明治33年11月25日に誕生した日本で最初の女性だけの自転車倶楽部。
 米国製ピアス自転車の代理店四七商会を経営していた東宮和歌丸が、夫人の自転車練習をはじめたことがきっかけで倶楽部が出来た。
 発起人は東宮いと子、その妹のとり子とふく子、朝夷たけ子、寺沢まさ子、田中きの子、柴田 環(のちの三浦 環)がいる。
 この女子嗜輪会の登場により女性の自転車熱も高まったが、風評はよくなかったらしい。
 「女性が自転車に乗るのは衛生上有害で、妊娠を妨げる」とか?
 これについては東京帝国大学の入澤達吉博士が、完全否定した。入澤教授の夫人も女子嗜輪会のメンバーであった。
 その後、女子嗜輪会は女子教育者の下田歌子を会長に戴き、九段牛ヶ淵の日本体育館で乗輪を希望する女子を練習をさせている。
 面白いのは、芸妓の中から自転車に乗るものが下谷・数奇屋町の中川家の栄や梅本のうめ子の2人。栄は後に市川左団次の妻になった。
 

 こうして日本の自転車乗りの歴史を振り返ってみると、これまた、女性の存在が浮かび上がってくるのである。
 洋の東西を問わず、自転車文化?の変遷に女性の存在が大きかった・・・・
現在も変わっておりませんねぇ?